重い沈黙を破って語られたその言葉に、途方もなく長い時間を経てカメラへ向けられたその眼に、白々とした光なんてあてられるわけがなかった。
たくさんの人の手を借りて、展覧会の会場ができあがったとき、空気が、ぴたりと止まった。
目を凝らすこと。耳を澄ますこと。
そのための場所が、ここにあるのかもしれないと思った。
ここでしか、できない。
あと3週間したら、消えてしまう場所。
たった独りで始めた、と思っていた。
友人を失うだろう、とも思っていた。
そしていま、まわりで何が起こっている?
あいかわらず、ひとりでありながら、同時にひとりではない。
たくさんの若い人の目を見て話す。そして一年ぶりに、ジョナサンの目を見て話す。おたがい信じられない気持で。
善人ぶる大人になんてなりたくない。しかし、善意の無力さを嘲笑い、シニカルであることで自己防衛をはかる大人にも、決してなりたくない。
ときに避けがたく自分が犯すかもしれない、あるいはすでに犯しているかもしれない罪に目を見開きながら、ナルシズムにもヒロイズムにも陥ることなく、途方もない矛盾のなかを生きつづけること。
講演を終えて会場を出ると、写真集を抱えた方々が、ロビーに集まっていた。
心の底から、ありがたい、と思った。何度も、ありがとうございます、と頭を下げていた。
もはや、私はいらない。本が、それぞれの旅を始めた。
23:07
僕はいま
飛び込もうとしている
空虚の中に
ここで
二つの岸辺は
和解する
たがいに相手がなければ何もできないと
これは生の動脈で
この橋は町にとって
人間にとって大動脈のようなもの
僕の足に深淵が口を開けている
そこに死のトンネルの中に
潜りたい
僕の嘘の鎧を脱がなくちゃ
やっぱり僕もこんな鎧をつけていた
それなしには暴力に耐えられなかった
いちばん深いところで
魂は傷を被ったはずだ
いま僕は平静だ
準備はできた
ただ飛ぶだけじゃない
それは行動であり
価値ある誇らしい
それは行動なのだ
空虚の力に勝利をもたらす
僕のものであるこの肉体には
どんな優しさもいらない
ヤン・ファーブル「またもけだるい灰色のデルタデー」より
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